1982年ワールドカップスペイン大会決勝以降

還暦過ぎの趣味趣味おじさんです。

1982年7月11日決勝の日となりました。

フランスとの準決勝での死闘を制した西ドイツはGKシューマッハーのラフプレーもあ

りアンチが多かった。対するイタリアは1次リーグでの不調がうそののように、優勝候

補のアルゼンチン、ブラジルを撃破し準決勝でもポーランドにあぶなげなく勝ちまし

た。どう見てもイタリア有利です。さらに、西ドイツはイタリアが苦手。

試合はまた正座して、緊張しながら観戦。今回は録画しながらでしたが、不安は的中

1ー3の完敗でした。イタリアは3回目の優勝です。イタリアに3点取られ西ドイツの

ブライトナーが一矢を報いました。決勝で2大会で得点した初めての選手となりまし

た。優勝したイタリアは1次リーグでは絶不調で3分けでかろうじて二次リークへ進出

し、しかも相手はマラドーナのいるアルゼンチン、ジーコ率いる絶好調ブラジルです。

圧倒的に不利な情勢でしたが、エースロッシが不死鳥のようによみがえり(八百長問題

で出場禁止が明けたばかり)決勝点を挙げます。2次リーグ以降4試合で6点を挙げ得点

王になります。

4年後の1986年メキシコ大会でも西ドイツは決勝に進出しますが、アルゼンチンに

2-3で敗れます。西ドイツのエースルンメニゲは1978、1982、1986と出

場しましたがとうとう優勝ができませんでした。次の西ドイツのエースはMFのロー

ター・マテウスになります。私の贔屓のボルシアMGで注目され、バイエルン・ミュン

ヘンに移籍し大活躍します。私はバイエルンミュンヘンが昔から大嫌いです。だいた

い金に飽かせてライバルチームのエースを引き抜くやり方が気にくわない。プロ野球

巨人と同じです。私は当然巨人が嫌いです。マテウスは1986年大会ではマラドーナ

のマーク役で苦杯をなめますが、次の1990年大会で決勝でアルゼンチンに1-0で

勝ち雪辱を果たします。このころからドイツサッカーに陰りが見えてきます。スピード

と高さのパワーサッカーが中心になり、そこそこの成績は残せるもののつまらない退屈

なサッカーになってしまいました。

2002年日韓大会では決勝まで進みますがブラジルに敗退します。この大会では幸運

にも抽選に当たって決勝トーナメント1回戦日本対トルコ戦を観戦できました。会場は

仙台でしたがサッカー専用球場ではありません。上の席でしたのでグラウンドまで距離

があり遠くで選手たちが動いてるなという感じでTVで中継される臨場感と全然違ったも

のでした。まあ、サッカーファンとしては一生に一度の貴重な経験でした。