運命の1974年7月7日

さて、サッカー部入部にとん挫した私は「ダイヤモンドサッカー」の放送も中止となり熱も冷めつつありました。高校2年の春、テレビのスイッチをひねると海外サッカーの試合が入ってるではないですか。NHKFAカップ決勝リバプールVSニュー・カッスルでした。リバプールは今年のチャンピオンズリーグで優勝しましたが当時も強かった。GKレイ・クレメンス、ケビン・キーガン、スティーブ・ハイウエイ、ジョン・トシャックなどそうそうたるメンバーでした。イングランド独特の声援、応援歌、素晴らしい雰囲気、眠っていたサッカー熱が再点火。

 まもなくサッカー雑誌の特集号「1974ワールドカップ西ドイツ大会」を発見。そうだ今年は4年に一度のワールドカップの年だ。当時は16チームを4グループに分け1次リーグを行い、上位2チームずつ計8チームで2組に分かれて、二次リーグを行いトップチーム同士で決勝、二位同士で三位決定戦を行う方式でした。優勝候補は1972年の欧州選手権優勝の西ドイツ、前大会優勝国のブラジル、ダークホースはオランダということでした。サッカーの神様ペレが引退し次のスーパースターが現れるかが話題となる大会でした。また一次リーグで西ドイツと東ドイツが同じグループに入ったことも話題となりました。情報はサッカー雑誌しかない時代でしたので決勝が初めて生中継される大会と知り、しかも新聞で決勝のカードは贔屓の西ドイツとダークホースのオレンジ旋風を巻き起こしトータルサッカーでブラジルを撃破したオランダです。決勝1974年7月7日は一学期の期末試験の真っ最中です。試験勉強にかこつけて徹夜をしてTVのスイッチをオン。胸は高鳴り、正座をしたまま観戦しました。さんまさんが話してましたが同じように当日正座して西ドイツを応援してたようです。初めて見るワールドカップ決勝、贔屓の西ドイツが出ていることで緊張マックス。試合の顛末は開始1分でのPKと衝撃的なスタートとなりましたが西ドイツが2-1と逆転し優勝しました。本当にくたくたに疲れた90分でした。この試合で印象に残っている選手がミッドフィールダーのライナー・ボンホフでした。チーム最年少の22歳。抜群の運動量で守備に貢献し決勝点をアシストしました。以来彼の大ファンになりました。現在彼はブンデスリーガボルシアMGの副会長として活躍しています。オランダは敗れたとはいえヨハン・クライフを中心としたトータルフットボールは夢のサッカーといわれサッカーの戦術に革命をもたらしました。