1982年ワールドカップスペイン大会

1982年になりました。スペイン大会となります。

このころになるとNHKで生中継が行われるようになり、ビデオデッキも普及するように

なり試合を普通に録画できるようになりました。私もいち早くビデオデッキを購入した

のですが、根っからのソニー信者の為、βを買ってしまいました。技術的にβのほうが優

れているし、本体、テープどちらもVHSよりコンパクトだし。まさかシェアー争いで

VHS連合に敗北して消滅しちゃうとはねえ。ま、どちらもDVDにとってかわられる運命

なんですが。大量に録画したテープは整理してないし、βデッキは壊れちゃったしね。

唯一の救いはVHS・DVD・HDDトリプルデッキが残っていることです。暇な時間にダビ

ングしようと考えてるんだけど、βテープはどうしようか。ダビングサービスは高い

し、中古のデッキを買うしかないですね。フォーマットが進化するたびに古い録画をど

うしようかは悩みですね。ダビングも等速じゃないとできないから時間はかかるし、ど

うせ暇なんだろうと言われそうですが。

話をワールドカップに戻しましょう。

1982年当時の西ドイツの主要メンバーはGKシューマッハー、カルツ、シュティー

リケ。ブリーゲル、フェルスター兄弟、ブライトナー、ルンメニゲリトバルスキー

フィッシャーとタレントはそろっていました。1次リーグは初戦で敗れるという波乱の

幕開けでしたが、2連勝してグループ1位で突破し、2次リーグも無難に突破しまし

た。そして準決勝はプラティニを中心に素晴らしい攻撃で注目されていたフランスが相

手でした。1-1から延長戦となりトレゾール(当時は珍しかった黒人選手)小さな巨人

ジレスのゴールで1-3となり万事休す。これで終わりと誰もが思いました。しかし、

西ドイツはそれから驚異の粘り、不屈のゲルマン魂を発揮するのです。故障で本調子

じゃないルンメニゲが気迫の2点目、フィッシャーのオーバーヘッドシュートが決まっ

て3-2に追いつきます。大会史上初のPK戦となりました。PK戦2-2から西ドイツ3人目

のシュティーリケが失敗し、顔を覆って泣き崩れる姿にこちらももらい泣き、が歓喜

に。フランスが二人失敗し西ドイツが奇跡的に勝利しました。以来ドイツのPK戦不敗神

話が生まれます。1976年の欧州選手権決勝のPK戦での敗戦が教訓となったのでしょ

う。

次の決勝はアルゼンチン、ブラジルを破って勢いに乗るイタリアです。西ドイツはイタ

リアが大の苦手。過去の対戦成績も大きき負け越していますし、1970年のワールド

カップの準決勝で死闘の末3-4で敗れています。1982年7月11日決勝の日を迎

えました。