再び西ドイツ代表チーム

学生時代の部活ついて書きました。やはり本格的にスポーツをやってこなかったので、

基本的な体力はないし、もちろん技術もありません。指導者もいません。部員でも経験

者とはいっても指導経験があるわけではないし、ましてや戦術などありません。個人の

力だのみの試合でした。したがって、県選抜などうまい選手が在籍すると強いチームが

出来上がるといった具合でした。部活としては春と秋に地区での他大学間のリーグ戦が

毎週末があり、夏に全国大会がありました。土のグラウンドですからスライディングす

ると太ももの横の皮膚に擦過傷ができ、治ったかな思ったら次の試合でまたズルムケ。

この繰り返し。当時はサッカーパンツも短いし、アンダーパンツもないし、雨の試合で

は泥んこになるので、海パンを下にはいて試合をしたもんでした。1978年当時はブ

ンデスリーガーではボルシアMGが3連覇した時代で、私の贔屓のライナー・ボンホフ

が中心選手として活躍していました。我が部のユニフォームもボルシアMGのレプリカ

で腕に緑と黒のラインの入ったものでした。懐かしい思い出です。

話を西ドイツチームに戻しましょう。1974年のワールドカップ優勝後、1976年

欧州選手権では決勝でチェコと対戦しました。この試合2-2からPK戦となりました。

バイエルン会長のウイリー・ヘーネスが失敗し、チェコの最後のキッカーがパネンカ

(有名な人を食ったようなチップキック)が決めてチェコが優勝しました。当時はTV放送

もなく雑誌で結果を知るだけでしたが、今ではユーチューブで見ることができます。

1978年のワールドカップで西ドイツは二次リーグで敗退しました。ボンホフは中選

手として活躍しましたが、G・ミューラー、ベッケンバウアーはすでに引退していまし

たし、タレント的にも見劣りするチームでした。この大会ではケンペスを中心としたア

ルゼンチンが地元の利もあって初優勝します。次の大会で活躍するロッシ、プラティ

ニ、がデビューしています。1980年の欧州選手権は西ドイツが決勝でベルギーを破

り2回目の優勝を遂げます。このチームで圧倒的な存在感を示したのがMFのベルン

ト・シュスターでした。代表に定着して間もない選手でしたが、長短のパスを屈指して

ゲームをコントロールし、往年の名MFギュンター・ネッツアーの再来と言われました。バルセロナに移籍し大活躍するのですが、サッカー協会との軋轢から代表に定着し

ませんでした。彼がいたら1982年のワールドカップは優勝できたでしょう。このこ

ろの映像はビデオに保存していたはずですが、VHS,βなのでそのうちDVDにダビング

しようと思っています。大量にあるのでいつになることやら。1982年のワールド

カップスペイン大会は決勝でイタリアが西ドイツを破り優勝します。名勝負の多い素晴

らしい大会になりました。