念願のサッカー部入部

1974年ワールドカップは応援していた西ドイツの優勝で終わりました。当時はビデオレコーダーもありません。記憶に残っているシーンはクライフの足元に吸い付くようなドリブル、ベッケンバウアーの守備での読みの良さ、オベラーツのたくさんボールに触ってショートパスからゲームを組み立てるうまさ、決勝点を決めたG・ミューラーのどんな体勢からもシュートができる異能さ、ボンホフの決勝点アシスト時の運動量とスピード、CKからの豪快なヘッディングシュートetc。今では映像を見ることができますので改めて見てみると現代のサッカーに比べてたらスピードが感じられないし、プレッシャーも弱い。個々の技術が発揮できるスペースと時間があるなあという印象です。ポジションの概念を取り払って全員守備、全員攻撃、オフサイドラインを高くして守備スペースをコンパクトにしオフサイドトラップを多用する。裏のスペースは足元の技術の優れたGKでカバーする。現在では当たり前のこの戦術はこの大会のオランダから始まるのでした。個人の技術に頼ったブラジルがオランダに0-2で完敗したのが象徴的でした。それから3位に入ったポーランドのスピード満点のカウンター攻撃も魅力的でした。得点王に輝いたポーランドのラトーは100メートル10秒台の俊足でした。

 さて、ワールドカップは終わりましたが、サッカー雑誌は購読していて西ドイツの情報は仕入れていました。いわば追っかけですね。高校も三年になると受験モードになるししばらくサッカーはお預けとなります。受験に失敗し浪人生活、しかもご丁寧に二年も。めでたく大学に受かったのが1978年です。私の入った学部は医療系でしたので本学とは別に学部にサッカー部がありました。学部のサッカー部だから同好会に毛の生えたもんだろう、素人の集まりだろうから私でもなんとかなるだろう。部活ごとに新歓コンパがひらかれます。サッカー部のコンパに参加し、念願のサッカー部に五年越しの入部となりました。知識だけは自信があったけど、浪人でなまった体にはきつかった。1978年はワールドカップアルゼンチン大会があります。この大会からNHkで試合の放送が始まりました。サッカー部の顧問の先生のお宅に部員が集まって、ごちそうになりながら試合をTV観戦したのが良い思い出です。サッカー部は経験者が多かったのですが、意外とサッカーの知識がないのにびっくりしたものです。知識といっても私の知識は選手の名前だったり、試合の結果だったりですが。実践では役に立たない知識ですが。素人同然の私ですが、秋のリーグ戦で部員が足りないこともあり、試合デビューすることになりました。なんとその試合中にヘッディングの競り合いで相手の頭とバッティングして額を切ったしまったのです。額がパックリと割れて血が噴き出し、意識はありましたが救急車で運ばれる騒ぎに。傷は縫合してもらいましたが今でも跡が残っています。散々なデビュー戦となりました。部活自体は楽しかったし、試合の遠征で全国あちこちに行けたのは良い経験になりました。当時のサッカー部は全盛期でレギュラーは全員経験者で中には県選抜に選ばれた人もいました。素人で運動能力にも秀でていない私はレギュラーになれるわけもなく、6年間補欠で終わりました。