思い出のサッカーワールドカップ 1978年 アルゼンチン大会

明けましておめでとうございます。

思い出のサッカーワールドカップの回想二回目は1978年のアルゼンチン大会です。

ひいきの西ドイツ中心の話となりますが、悪しからず。

ディフェンディングチャンピオン西ドイツは前回優勝のメンバーが多く抜けて大変な状態でした。

なにしろG・ミュラーベッケンバウアー、ブライトナー、ヘーネスなど主力メンバーがいないのですから。

当時のブンデスリーガーの勢力図を反映して1FCケルンシャルケ04の選手が中心となりました。

GKはマイヤー(バイエルン)リベロはM・カルツ(HSV)ゲームメーカーはフローエ(1・FCケルン)FWはD・ミュ

ラー(1・FCケルン)ルンメニゲが大会デビューしました。フォックツがキャプテンを務め、ボンホフが中盤の主力

メンバーとなっていました。

一次リーグ

試合は前回大会と同じで参加チーム16チームで一次リーグ、二次リーグを行い二次リーグトップが決勝を行いま

す。前回に引き続きオランダも参加していますが、クライフは不出場でした。圧倒的に強いチームが見当たらず、

開催国アルゼンチンが有力と思われていました。

西ドイツの試合

初戦の相手はポーランドでした。前回大会三位の強豪です。ポーランドは前回の主力が残っており、ボニエクがデ

ビューしました。試合は0-0の引き分けに終わりました。大会の初戦はどのチームも慎重になりますから安全運転

とでもいいましょうか。二戦目の相手はメキシコでした。試合は6-0と西ドイツの圧勝でした。この試合でデ

ビューしたルンメニゲとフローエが2ゴール、D・ミュラー、H・ミュラーが得点しました。三戦目は初出場の

チュニジアでしたが0-0の引き分け。二次リーグの対戦相手を考えてリーグ2位通過でした。

二次リーグA組

二次リーグの相手はイタリア、オランダ、オーストリアでした。B組は地元アルゼンチン、強豪ブラジル、ポーラ

ンドでしたからヨーロッパ勢のほうが組みやすいはずでした。

初戦は苦手イタリアでしたが、0-0で引き分け。

2戦目はオランダです。試合は西ドイツが先行する展開でしたがハーンとR・ケルクホフのスーパーロングシュー

ト2発で2-2の引き分けに持ち込まれました。

雌雄を決する3戦目はオーストリアです。実力的には西ドイツが有利でした。しかし試合終了直前にクランクル

決勝点を決められ2-3でまさかの敗戦。万事休す。

2勝1分けのオランダが決勝戦に進みました。オランダはクライフはいませんでしたが、前回のメンバーが多く

残っていてレンセンブリンクが大活躍し、ハーンの強力なシュートなどパワーサッカーで勝ち進みました。

イタリアはメンバーの若返りが進み次回大会で大活躍するシレーア、ジェンティーレ、カブリーニ、タルデリ、ア

ントニオーニ、ロッシが今大会でデビューしました。

二次リーグB組

B組はアルゼンチンがペルーを6-0で勝利したのが効いて得失点差でブラジルを抜いて首位通過して決勝に進みま

した。ペルー戦は八百長をにおわせるような疑惑の試合でした。

3位決定戦はブラジルとイタリアで、2-1でブラジルが勝利しました。ブラジルのネリーニョの強烈ドライブシュートが記憶に残っています。

勝戦

勝戦ケンペスが先制し、試合終了近くにオランダが同点に追いつき、タイムアップ直前レンセンブリンクが惜

しいシュート、これが決まっていたらオランダが勝利できたのに。残念。試合は延長戦となりケンペスとベルトー

ニの追加点で3-1で優勝しました。

大会中アルゼンチン有利な笛が多く納得いかないチームも多かったのではという印象でした。開催国アルゼンチン

が優勝してめでたしめでたしの大会となりました。

この大会に出場では次の大会で活躍するブラジルのジーコ、オスカル、セレーゾやフランスのプラティニ、トレ

ゾール、ロシュトーなどがデビューしました。

1978年アルゼンチン大会は次のスペイン大会を盛り上げるスターたちの品評会のような大会でした。

二次リーグ敗退となった西ドイツは長らく監督を務めていたシェーン監督が勇退し、キャプテンのフォックツ、マ

イヤーも引退しチーム再建となります。ルンメニゲ、カルツが中心となり1980年の欧州選手権優勝を勝ち取り

ます。

この大会からNHKで予選リーグからテレビ放送が始まりました。リーベルプレートスタジアムの紙吹雪、ハーン

の強烈なシュートの記憶はいまだ残っています。残念ながら映像で見られる試合はあまりないようです。試合の映

像を何とか発掘したいと考えています。