ベッケンバウアー、クライフ夢の対決 1974年ワールドカップ西ドイツ大会

私が本格的にサッカーを観戦するようになって45年になりますが印象に残った国際大会を回想したいと思います。1回目は1974年ワールドカップ西ドイツ大会です。ベッケンバウアーとクライフという二大スーパースターが対決した夢のような大会でした。決勝戦が初めてテレビ中継された大会でした。

1974年ワールドカップ西ドイツ大会の下馬評

ホスト国の西ドイツは1972年の欧州ネーションズカップで圧倒的な強さで優勝していましたので当然優勝候補の筆頭でした。

対抗として欧州チャンピオンズカップで3連覇したアヤックスを中心メンバーとしているオランダでした。両チームのキャプテンがベッケンバウアーとクライフでした。

ベッケンバウアーは新たなリベロ像を築き、守備の中心となり攻撃の起点となっていました。

クライフ率いるアヤックスの斬新な戦術はサッカー界に革命をもたらしました。その戦術はトータルフットボールと呼ばれ、ポジションを固定せず、全員攻撃,全員守備、オフサイドトラップの多用などこの戦術の中心となるのがクライフでした。

オランダは国としてはほとんど実績がなく、大きな大会には初めての出場でした。現代のサッカー強国の先駆けとなる大会でした。

前回優勝のブラジルはペレが引退したこともあり大会前の評価は低く、前回準優勝のイタリアも中心選手のリベラ、フォケッティが引退して下馬評は高くありませんでした。注目されたのは1972年のオリンピックミュンヘン大会で優勝したポーランドで出場予選でイングランドを破って本大会出場を決めていました。

1974年ワールドカップ西ドイツ大会一次リーグ

この大会では出場16チームが4グループに分かれ一次リーグを戦い、上位の二チーム計8チームで2グループに分かれて二次リーグを行い、各グループトップが決勝戦を戦うシステムでした。

西ドイツの一次リーグの相手はチリ、オーストラリア、東ドイツでした。初戦はチリでした。どの大会でも初戦は緊張するもの、ましてや地元の期待がプレッシャーとなります。左サイドバックのブライトナーの25メートルシュートが決まりなんとか1-0で勝ちました。やれやれ、ほっと。

二戦目は初出場のオーストラリアです。クルマン、オベラート、ミュラーの得点で3-0で勝利。前回得点王のミュラーの待望の得点です。楽勝でしたね。

三戦目が東ドイツでした。これが問題の試合で、勝ってグループ1位になるとオランダと二次リーグで対戦する可能性があります。1972年欧州ネーションズカップ優勝に貢献したネッツァーがMFで起用されましたがコンディションがよくなく見せ場も作れず途中交代しました。ネッツァーかオベラートかと議論された中盤の問題はオベラートを起用することで決着しました。試合のほうは目論見どうり0-1で敗退し、グループ二位となりました。

さて、オランダは初戦ウルグアイを2-0、二戦目ブルガリアを4-1、三戦目スウェーデン0-0と順当に勝ち上がります。スウェーデン戦では得点は奪えませんでしたが、オランダは攻撃力で圧倒しました。

この試合で有名になったのがクライフターンでユーチューブで見ることができます。クライフのプレーは爆発的なスピード、簡単にボールを取られない巧みなドリブル、左右両足自在に繰り出す長短のパス、正確なシュート、相手をあざ笑うかのようなトリッキーなプレイ、卓越したボディーバランスなどなど、まさに全知全能のスーパースターでした。今で言ったらメッシとC・ロナウドを足して二で割ってような存在でしょうか。

ブラジルはなんとか一次リーグを突破しましたが、イタリアはポーランドに敗れてリーグ敗退となりました。ポーランドではFWラトー、ガドハMFディナGKトマショフスキーが注目されました。ラトーは100メートル10秒台の俊足FWでこの大会では得点王になります。