You Tube スーツ旅行最終日のつづき

この前の続きです。

博多から東京に帰って、一泊してから仙台は今度は車で。ちょうどいとこが学会で東京に自家用車来ていたのです。学会も終わって帰るということで(いとこは青森在住、私も青森出身です。)便乗させてもらいました。東北道を使って東京から仙台へ行くのは初めてでした。

夏休みも後半になり、今度は友人たちと4人で北海道旅行しようということになりました。私は先に帰省していたので、3人が仙台を出発し私は青森で合流することになりました。

当時は青函連絡船がまだあり、車も運んでいました。北海道は何回も行ってるのですが、函館、札幌、旭川など都市部ばかりで道央、道東に行くのはこの時が初めてです。

青函連絡船で北海道に渡って、大沼公園の宿に泊まりました。基本的に宿はユースホステルで寝るだけという感じでした。後年大沼公園のホテルに家族旅行で泊まったことがありましたが見るところ遊ぶところがたくさんあるので満喫するには数日必要ですね。

二日目は長丁場です。

内浦湾を眺めつつ、室蘭、苫小牧、日高山脈を越えて帯広経由で池田町まで。池田町はワイン造りで有名です。ワインといえば山梨が有名ですが、当時地方でまして北海道でのワイン造り、大変だったろうなあと感じたものでした。今では日本中あちこちでワインを作ってますよね。池田町はその嚆矢となった街です。ワイン城も立派な建物でした。

三日目

足寄町経由「ここが松山千春の出身地かと」と思う間もなく通過して、阿寒湖、摩周湖を経由して今回の目的地知床の最深部ウトロへと。途中斜里町によって博物館見学。斜里町は幕末北方警備に津軽藩藩士が派遣されていたため津軽と縁のある土地です。北国育ちの津軽藩士も極寒の厳しい環境で亡くなる人も多く、薬としてコーヒーが支給されたという逸話があります。そのせいで津軽藩の城下町弘前にはコーヒー専門店が多いのだそうです。

ウトロは今でこそ観光地化されてホテルとかありますが、40年前はユースホステルが1件、旅館が1件あるくらいなもんでした。ウトロではのんびりとして、遊覧船で知床の先端近くまで遊覧観光、知床五湖、山越えして羅臼へ。途中国後島が見えました。目と鼻の先ともいえる距離が外国という現実を目の当たりにして国防の大切さと不法に奪われたかつての島民の悔しさに思いをはせました。

ウトロには3日くらいいたので

7日目  ウトロを出発してオホークツ海を眺めながら網走へ。定番の網走刑務所を見学。この日は丸瀬布温泉に宿泊。

8日目  層雲峡を眺めつつ旭川経由で札幌へ。眺めつつばかりで有名な観光地はパスの連続です。この日はどこに泊まったか忘れてしまったけれど、ホロホロ鳥料理を食べた記憶はありですが・・・

9日目    函館経由で今度は青函フェリーを利用。函館は全然見学せず。津軽海峡を渡って青森へ。青森で一泊。

10日目    青森を出発して十和田湖を経由して仙台へ。夏休みも終わりとなりました。

北海道はとにかく広い。全部くまなく見ようとしたら40年前なら2週間くらい必要です。今は交通事情もよくなり、高速道路の整備も進んでますからもっと楽でしょうけれど。運転手がほとんど一人でほかの三人はペーパードライバーでしたから無理はさせられませんでした。もう少し行程を練っておけばと後悔しています。

社会人になっても何度となく北海道に渡ってますが、観光にしても時間の制約があるのでどうしても札幌、函館がメインになってしまいます。いまだに見てない所で行ってみたい所はたくさんあります。

とにかく、この年の夏休みには北海道から九州までほぼ日本中を旅したわけです。

スーツ君の日本一周旅行をずーと見てきて、自分の学生時代の旅行を思い出した次第です。学生の皆さんは海外旅行もいいけれど、長い夏休みを利用して日本中をめぐることは有意義だと思いますよ。