思い出のサッカー欧州選手権1980年大会 西ドイツ二度目の優勝

今年は欧州選手権の本大会が行われますから、思い出の大会として1980年大会を振り返ってみましょう。

西ドイツの復活

1976年の欧州選手権の本大会はイタリアで行われましたが、西ドイツ、チェコ、オランダ、ギリシャ、ベルギー、イタリア、イングランド、スペインの8チームでした。4チームずつ2グループに分かれ1次リーグを行いトップチームが決勝進出となります。西ドイツは1978年のワールドカップで屈辱の二次リーグ敗退を味わい、監督もシェーン監督からデアバル監督にかわり、チームメンバーも刷新が図られました。イングランドが久しぶりに大きな大会に出場ということで注目されました。

1次リーグAグループ

Aグループは西ドイツ、チェコ、オランダ、ギリシャです。西ドイツの初戦はチェコでした。4年前の大会の決勝戦PK戦で敗れた相手です。西ドイツのメンバーはGKシュマッハーDFはカルツ、K・H・フェルスター、ディーツ、シュティーリケ。MFはB・フェルスター、ブリーゲル、クルマン、H・ミュラーFWはルンメニゲ、K・アロフスでした。試合は55分ルンメニゲのヘッディングシュートが決まり先制。これが決勝点となり1-0で勝利しました。二戦目はオランダでした。西ドイツはMFに若いシュスターを起用し、これが大当たりします。CFにルベッシュをおき3トップとしました。試合は常に先行する展開で19、59、66分にK・アロフスがきめハットトリックを達成しました。二失点しましたが試合内容でオランダを圧倒しました。3戦目のギリシャ戦は二勝しているため余裕の戦いで0-0の引き分けでした。西ドイツは首位となり決勝進出となりました。

1次リーグBグループ

ホスト国のイタリア、イングランド、ベルギー、スペインの4チームでした。欧州クラブカップ(欧州チャンピオンズリーグの前進)ではリバプールノッティンガム・フォレストアーセナルが大活躍していましたので期待されていました。キーガン、クレメンス、ニール、ビブ・アンダーソン、マクダーモット、ホドルが中心メンバーでした。

イタリアは1978年のメンバーが中心でしたが期待のロッシが八百長問題に連座して出場できませんでした。ベルギーは実力がありながら予選でオランダと同じ組になることが多く、なかなか予選を突破できませんでした。久しぶりに大きな大会の出場でした。スペインは2年後のワールドカップスペイン大会にそなえて若手中心で臨みました。

このグループは混戦でベルギー、イタリアが1勝2分けで並びましたが得失点差でベルギーが首位通過しました。イタリアはロッシ不在が響き3試合で得点が1点と攻撃陣が低調でした。イングランドキーガンが徹底マークにあい実力を発揮できませんでした。

勝戦 ルベッシュが決勝点

試合は9分ルベッシュがシュスターのアシストからミドルシュートを決めて先制します。71分バンデレイケンがPKを決めて同点とします。でも、PKの判定となったファウルは明らかにペナルティエリアの外であり、今のVARだと取り消しとなる判定でした。88分CKからルベッシュがヘッディングシュートを決めて2-1となりこのまま終了。西ドイツの二回目の優勝となりました。二年前から図ってきたチームの若返りが成功しました。右のカルツ、シュスター、左のブリーゲル、H・ミュラーのコンビによる攻撃が威力を発揮しました。比較的小柄ながら粘り強い守備で定評のあるK・H・フェルスターと読みのいいシュティーリケのコンビも安定していました。

この大会で活躍したシュスターはスピードがあり、ネッツァーばりのロングパスを決め将来の西ドイツのエースと期待されましたが協会と折り合いが悪く、バルセロナに移籍したこともあり輝いたのは今大会だけでした。残念至極。

この大会のメンバーが二年後のワールドカップスペイン大会の主力メンバーとなります。1974年のワールドカップの優勝メンバーで西ドイツの中盤を支えていた、私の応援していたボンホフがこの本大会直前に膝のけがで代表を引退したのが残念でした。

ルベッシュのような体格のいい空中戦に強いCFの系譜はビアホフ、ゴメスと引き継がれましたが、最近は見かけなくなりました。がちがちにひかれた相手を攻めあぐねる最近のサッカーではセットプレイが重要となってきています。大柄で空中戦で勝利できるような人材の発見が必要な気がします。前にも書きましたがバスケットボールのセンターのポジションに相当する役割です。

レバンドフスキーのような人材がいたらと思いますが彼がいてもポーランドがパッとしないのが面白いところです。サッカーを一人で決めてしまうのはマラドーナの時代が最後でしょうか。